ドナルド・トランプの次男、エリック・トランプが「紙の上」で億万長者の仲間入りを果たした──
そんな衝撃的なニュースが飛び込んできた。
きっかけは、暗号資産マイニング関連企業がNASDAQに上場し、エリックの保有株が一時950億円相当に跳ね上がったことだ。
だが、このニュースは単なるお祭り騒ぎではない。
ここには「政治×暗号資産×規制緩和」という、極めて強力な相場加熱装置が存在する。
そしてその舞台装置を操っているのが、トランプ家である。
表向きは“投資”、実態は“手数料ビジネス”
まず理解すべきは、トランプ家が関与する暗号事業の構造だ。
それは以下の3本柱に集約される。
① マイニング+ビットコイン保有=「企業トレジャリー戦略」
トランプ系企業は、ビットコインを自社の資産として保有しながら、並行してマイニング(採掘)も実施している。
これにより、単なる投資益だけでなく、採掘による継続的なインカム収入も確保する設計だ。
だが現実は甘くない。
マイニングは膨大な電力コストと技術投資を必要とし、市場価格の変動や難易度の上昇で採算が一気に悪化するリスクがある。
② トークン発行と“取引手数料モデル”
もっとも注目すべきはここだ。トランプ系の別プロジェクトでは、独自のトークン(デジタル資産)を発行し、それを取引所に上場。
実際の売買による価格上昇よりも、売買に伴う“手数料”で現金を得るビジネスが展開されている。
ポイントは、トークンの将来価値がどうであれ、手数料は確実に稼げるという点。
つまり、価格が暴落しようが、仕組みを作った側が常に儲かる構造になっているのだ。
③ 政治的影響力を通じた“規制アービトラージ”
元大統領ファミリーという立場を活かし、政権と市場に同時に影響を与えられる特権的ポジションを活用している。
バイデン政権が暗号資産に慎重な姿勢を見せる一方、トランプ陣営は「暗号推進派」としてのスタンスをアピール。
その結果、「トランプ再選=暗号資産バブル再来」という期待先行のマネーフローが発生しつつある。
暗号資産バブルの“再来”か、それとも“露骨な錬金術”か?
✅ 数字はすべて“時価”であり、キャッシュではない
ニュースで報じられる「○○億円相当」はすべて“紙上の評価額”に過ぎない。
ロックアップ(売却制限)や実際の流動性、出来高などを加味すれば、それを現金化できる保証は一切ない。
特にフリーフロート(市場に出回る株・トークンの量)が少ない状態で上場した場合、一時的に価格が吊り上がりやすく、暴落もまた早い。
✅ 投資家が得るのは“夢”、彼らが得るのは“現金”
トランプ家がやっていることは、ある意味現代版のチューリップバブルだ。
だが彼らは、トークンやマイニングで得た資産を現金に変換する「出口戦略」をすでに持っている。
一方で、末端の投資家は「夢」と「物語」だけを追ってしまう。
これは、ミーム株やNFTバブルと本質的に同じ構造だ。
暗号ビジネスにおける“倫理と腐敗”のボーダーライン
問題は、それが違法か合法かではない。
より重要なのは、「政治的な影響力で、政策と市場を同時に動かす構図」が作られていることだ。
かつてトランプ陣営は、ハンター・バイデン(現大統領の息子)の“アート販売”や“海外取引”を徹底的に批判した。
だが今、トランプ家はより巨大なスケールで“インフルエンス経済”を展開している。
🤔 本当に問題なのは「何をしているか」よりも「誰がやっているか」
トークン発行や暗号保有が問題なのではない。
問題なのは、それを推進する側が同時に規制ルールを握っていることだ。
これはガバナンス(統治)とグリード(強欲)の矛盾とも言える。
投資家が持つべき「3つの問い」
1. 誰が儲かる設計になっているか?
価格上昇ではなく、「仕組み」で儲かるプレイヤーがいないか?
2. 情報の非対称性がないか?
インサイダーに近い人物が、価格形成に影響を与えていないか?
3. 出口(Exit)はどこにあるか?
ロックアップ解除やベスティング期間が近い場合、供給ショックで暴落する可能性がある。
これは「相場」ではない、「設計された期待」だ
トランプ家の暗号資産戦略は、まさにストーリーテリングと制度設計の融合だ。
彼らは「語られる物語」を武器にして、政治・経済・規制の3層で優位性を持つ。
だが我々はその舞台裏の構造に目を向けなければならない。
- 利益は時価総額ではなく、現金フローで測れ。
- 影響力の強さは、必ず「出口設計」とセットで使われる。
- 話題性がピークに達した時こそ、売り時のサインかもしれない。
結論:「数字」ではなく、「構造」を見ろ
億万長者の称号に惑わされてはいけない。
数字は飾れるが、構造は嘘をつかない。
このニュースは単なるトランプ家の話ではない。我々全員が巻き込まれる可能性のある、次の金融バブルの序章なのだ。
投資とは、物語を信じることではなく、構造を見抜くことである。
この一件は、まさにそれを証明している。