南アジアの小国ネパールで、Z世代が主導する抗議運動が一気に政権を揺るがした。
KPシャルマ・オリ首相は辞任し、首都カトマンズでは国会議事堂や政府庁舎に火の手が上がるなど、情勢は混迷を極めている。
なぜ今、ネパールはこれほど激しく燃え上がっているのか。
そして私たちはこの国をどのように理解すべきなのか。
表層的な「怒れる若者」の映像だけを見てしまうと誤解に陥る。
歴史を踏まえ、地域の文脈を丁寧に読み解かなければならない。
以下では、抗議運動の現状から、南アジアの地政学的背景、そしてネパール独自の歴史的歩みまでを整理し、事実を基に未来を考察する。
現場で何が起きたのか
2025年9月、カトマンズを中心に数万人規模の若者が立ち上がった。
SNS遮断が直接の火種となり、「表現の自由を奪うな」という叫びが街を埋め尽くした。
抗議は瞬く間に暴徒化し、国会議事堂や主要ホテルの放火へと発展。死者は報道により幅があるが20〜30人超、負傷者は1,000人以上とされる。
事態の深刻さから政府は無期限の外出禁止令を出し、軍が首都を巡回する状況となった。
もっとも注目すべきは、ネパール軍が権力掌握ではなく仲介役に回っている点だ。
移行政権の候補者として、スシラ・カルキ元最高裁長官や、人気急上昇中のバレン・シャー市長(元ラッパー)の名前が取り沙汰されている。
南アジアを貫く三つの影響力
ネパール情勢を理解するには、南アジア全体に通底する三つの要素を押さえる必要がある。
- 軍
パキスタンやバングラデシュでは繰り返しクーデターを引き起こし、政治の主役に。 - 宗教
国のアイデンティティを左右する力。
軍政や独裁の正当化に利用されることも多い。 - 王政
ブータンとネパールに特徴的。
特にネパールではヒンドゥー教と結びつき、国王は「ヴィシュヌ神の化身」とされてきた。
ネパールの特異性は、軍が政権を奪ったことがない点にある。
王政の下では王に忠実、民主化後は選挙で選ばれた政府に従属し、秩序維持に徹してきた。
今回の混乱でも「クーデター」ではなく「調停」が役割であることは歴史的にも一貫している。
強い主権意識とナショナリズム
しばしば誤解されるのが、「ネパールがインドへの編入を申し出た」という説だ。
これは完全な虚構であり、ネパールは常に強烈な主権意識を保持してきた。
インドとの関係は「依存と自立」の綱引きであり、単なる従属ではない。
- パキスタン
ナショナリズムは「インドとは違う」ことで定義される。 - バングラデシュ
1971年独立戦争の「功績の帰属」をめぐる論争が国家アイデンティティの核。 - ネパール
ヒンドゥー王国としての誇りを持ちながらも、民主化の過程でその「宗教と王権の結合」を断ち切った。
こうした文脈を無視した報道や発言は、容易に反印感情を刺激する。
カトマンズでインド系メディアが敵意を受ける背景には、この歴史的な心理構造がある。
王政から共和制へ――ネパール近代史の要点
- 1768年:プリトビ・ナラヤン・シャハがマッラ朝を倒し、シャハ朝を樹立。
- 1814〜16年:英ネパール戦争に敗北。スガウリ条約で領土割譲も主権は維持。
- 1846年:コートの虐殺。ラナ家が実権を握り、104年の独裁体制へ。
- 1857年:インド大反乱で英軍を支援。ゴルカ兵が「武勇の象徴」として世界に知られる。
- 1951年:反ラナ革命とインドの支援で王政復活、立憲君主制へ。
- 1990年:大規模民主化運動で複数政党制へ。
- 2001年:王室虐殺事件。国王夫妻ら9人死亡。
- 2008年:王制廃止、連邦共和制に移行。
- 2015年:新憲法で世俗国家を明記。
この歴史は、「王政=宗教権威」という構造を壊し、世俗的な民主主義を定着させる苦闘の連続だった。
誤解されやすい三つの点
- 軍のクーデター
過去に例がなく、現時点でも権力奪取の兆候はない。 - ヒンドゥー国家の復活
2008年の王制廃止で終焉。2015年憲法は世俗を明記。 - インドへの従属
歴史的に主権を守り抜いてきた。対印関係は複雑な綱引きである。
Z世代の新しいリーダー像
今回の抗議で特に注目を集めたのがバレン・シャー市長だ。
ラッパー出身でSNSに強く、都市行政で成果を上げたことから若者の絶大な支持を受ける。
ただし「Gen Z=28歳以下」に限定された抗議運動の枠組みを尊重し、市長本人は現場には出ていない。
象徴的存在であることは間違いないが、政権移行の中心になるかは流動的だ。
経済と未来への視点
市場は「軍が動いた」「非常事態」といった見出しで敏感に反応するが、実際のリスクは長期の政治空白による政策停滞や外資案件の遅延といった摩擦コストだ。
一方で、都市行政の改善・世俗憲法の定着が進めば、観光・水力発電・ITアウトソーシングといった分野で中長期の成長シナリオも描ける。
今回の抗議は、その可能性を切り開く「痛みを伴う産道」と捉えるべきだろう。
筆者の解釈:ネパールの「例外性」を守れるか
南アジアの民主化は常に「軍・宗教・王政」の三つの力に揺さぶられてきた。
その中で、ネパールは軍の非政治性という希少な資産を持ち続けている。
この例外性を守り抜けるかどうかが、次の10年を決める。
暴力ではなく制度で主権を更新できるか。Z世代のエネルギーを制度設計に翻訳できるか。
「私たちはネパールである」という物語を、怒りから制度へ――。
それこそがこの国の未来を拓く唯一の道だと考える。