「ハード・ステートか、ソフト・ステートか」
南アジアをめぐる議論ではしばしば使われる表現だ。
しかし本当に国家を分ける軸は“硬さ”なのだろうか。
近年の事例を見ると、より本質的なのは国家が「機能しているかどうか」である。
2022年のスリランカ、2024年のバングラデシュ、そして2025年のネパール。
わずか3年の間に、南アジアで立て続けに政権が街頭抗議により崩壊した。
これを「3例一線の法則」で捉えるならば、そこに見えるのは「硬さ」ではなく「機能不全」である。
連鎖する崩壊の現場
スリランカ(2022年7月)
経済破綻と外貨不足により燃料も食料も尽き、市民が大統領公邸を占拠。
ゴタバヤ・ラジャパクサ大統領は国外退避し、辞任した。
ここで決定的だったのは、市民の怒りを受け止める制度的回路が不在だったことだ。
バングラデシュ(2024年8月)
学生主導の大規模抗議が拡大し、シェイク・ハシナ首相は辞任・国外退避。
ここでも、野党が制度内で不満を吸収する装置にならず、街頭が唯一の出口となった。
ネパール(2025年9月)
政府によるソーシャルメディア禁止措置に端を発した抗議は数日にわたり激化し、死者50人超を出した。
ついにK・P・シャルマ・オリ首相は辞任、議会は解散、暫定首相にスシラ・カルキ元最高裁長官が就任した。総選挙は来年3月5日に設定された。
注目すべきは抗議の担い手が「Z世代」であったこと。
17年を経ても民主的制度の厚みが十分に育たず、怒りを受け止めるチャンネルを失った結果、政権が一気に瓦解した。
例外:パキスタンはなぜ倒れなかったのか
2023年5月9日、イムラン・カーン前首相の逮捕をきっかけに全国規模の暴動が発生。
ラホールの「ジンナー・ハウス」(軍団司令官公邸)が襲撃され、軍の象徴的施設が破壊された。
政権転覆の条件は揃っていたように見えたが、結果は逆だった。
- 治安当局が広域で秩序を回復し、250人超が反テロ裁判所(ATC)で訴追。
- 軍事法廷の適用をめぐり司法判断は揺れたが、制度は作動を続けた。
- イムランには「14年刑」が下されたが、その後保釈と再勾留を繰り返すなど、法廷での攻防が続いた。
つまり体制が維持されたのは「硬さ」ではなく、治安・司法・政治が最低限機能したからである。
「硬さ」は脆さにもなる:旧ソ連ジョージアの教訓
1989年4月9日、ソ連ジョージアのトビリシでの抗議に対し、赤軍とKGBは銃撃と窒息性ガスで鎮圧を試み、21人が死亡した。
結果は逆効果で、ソ連体制の崩壊の始まりとなった。
「硬い国家」の暴力的対応は、むしろ脆さの露呈につながる。
「機能する国家」の三条件
- 治安部隊のプロ化
抗議や暴徒化に対し、非致死性の手段を用い、軍に頼らず制御できる能力。
インドのCRPFのように、専門訓練を受けた部隊が存在するかどうかは大きな差となる。 - 交渉能力
権力が「敵」と向き合うのではなく、「利害調整の相手」として交渉できるか。
時間をかけて怒りを制度に吸収できるか。 - 民主的忍耐(時間の胆力)
怒りを即時に抑え込むのではなく、選挙や議会審議、司法過程へ導き、長期戦で処理する意思。
野党は「圧力逃がし」装置
野党がうるさい国家は「弱い」のではなく、むしろ「強い」。
なぜなら、市民は不満を街頭に持ち込む代わりに、議会や選挙で吐き出せるからだ。
スリランカ、バングラデシュ、ネパールはいずれも野党が制度内で十分に機能せず、怒りが直接政府を襲った。
インドのケース:制度の粘り
- 1974〜77年のJP運動と国鉄ストは激しい街頭行動を伴ったが、最終的に決着は1977年総選挙でついた。
- 2011年のアンナ・ハザーレ運動も、深夜までの国会審議で「制度内」に吸収された。
制度が粘り強く機能することで、街頭の怒りは破断線に至らず「選挙」に収束した。
国家に必要な「内臓のガッツ」
2010年、カシミールで投石が激化したとき、当時の国家安全保障顧問M.K.ナラヤナンは「国家にはガッツ(内臓)が要る」と語った。
これは「硬さの演出」ではなく、制度を動かし続ける胆力の比喩だ。
投資家・政策ウォッチへの実務指標
国家が「機能しているか」を測る具体的な観察点は以下の通り:
- 治安当局のプロトコル(非致死性装備・交渉班の有無)
- 野党の制度内位置(議会での実効性)
- 議会の粘り(長時間審議や修正能力)
- 司法の避雷針機能(違憲審査・救済措置)
- 軍の政治距離(軍が最前面に出るか否か)
これらが噛み合う国家は、為替リスクや債券スプレッドの安定度が高い。
結論:硬さではなく「機能」が未来を決める
スリランカ、バングラデシュ、ネパールの崩壊に共通するのは「硬さの不足」ではなく制度の不在。
一方、パキスタンは多くの問題を抱えながらも、最低限の「機能」を維持したことで政体崩壊を免れた。
国家を持続させるのは硬さではない。制度を動かす胆力――
それが「機能する国家」の真価である。