世界の国際政治がまるで恋愛関係のように振り回される。
そんな光景がいま、インドの目の前で展開されています。
昨日までハートの絵文字を送りつつ、翌日には既読スルー。
米国トランプ政権の外交姿勢はまさにそんな「ミックス・シグナル」の連続です。
インドにとっては極めて重要なチャーバハール港の制裁免除撤回と、パキスタンが求めたバローチ解放軍(BLA)の国連テロ指定阻止という矛盾した動きが続けざまに起こりました。
ここでは、経緯を整理しつつインドにとっての戦略的含意を考えます。
チャーバハール港とは何か
チャーバハール港はイラン南東部シスタン・バローチスタン州に位置する、アラビア海に面した深海港です。
インドが2000年代から開発に関心を示し、2016年にはモディ首相とイラン・アフガニスタンの三国合意で正式に動き出しました。
目的は明快で、パキスタンを迂回してアフガニスタンや中央アジアへアクセスするための回廊を確保することです。
この港はさらに国際北南輸送回廊(INSTC)にも直結します。
ムンバイから出た船がイランに入り、鉄道と道路でカスピ海を渡ってロシア経由で欧州に達するという構想で、従来のスエズ経由に比べて日数・コストを半減させる効果が期待されています。
トランプ1.0から2.0へ:免除と撤回の往復
2015年に成立したイラン核合意(JCPOA)で制裁が緩和されると、インドはチャーバハール開発を本格化。
しかし2018年、第一次トランプ政権は合意から離脱し「最大限の圧力」路線を再開しました。
その際もアフガニスタン復興に不可欠とされるチャーバハールは特例扱いで免除され、インドは最低限の事業継続を守りました。
ところが2024年5月、インド港湾グローバル社(IPGL)がイランの港湾当局と10年間の運営契約を締結。
総額1,000億円規模の投資を含む大型契約でした。
これに対し米国は警告を発し、2025年9月にはついに免除撤回を発表。
9月29日から港湾関連の全取引は制裁対象になると明記されました。
インドにとっての打撃
インドはこれまでに約25百万ドル(210億円超)を投じ、物流の実績も積み重ねてきました。
新型コロナ禍では同港経由でアフガンに小麦や豆を輸送し、人道回廊としても活用されました。
免除撤回は単なる経済的損失にとどまらず、
- 中国が掌握するパキスタン・グワダル港への対抗策を失う
- アフガニスタン・中央アジアへのアクセス回廊が細る
- INSTC全体の実効性に影響する
といった戦略的リスクを伴います。
一方で矛盾する動き:BLA指定を阻止
同じ時期、パキスタンは国連安保理にバローチ解放軍(BLA)を国際テロリストに指定するよう提案。
しかし米・英・仏が証拠不十分を理由に阻止しました。
BLAは過去にパキスタン国内の中国関与施設を狙った攻撃を繰り返し、米国自身は2019年にBLAを、さらに2025年にはその分派「マジード旅団」を国内テロ組織に指定しています。
それなのに国連ではブロック。
つまり米国は「国内では敵視、国際舞台では裁量を残す」という二重基準を採用しているのです。
なぜ矛盾するのか:米国の軸はぶれていない
こうした一見矛盾する行動の背景には、米国の優先順位がはっきり見えます。
- 最優先はイランの核抑止
チャーバハール免除撤回で経済圧力を最大化。 - 次に中国との競争
BLAを完全に国際指定すると中パ経済回廊(CPEC)への批判余地を失うため、あえて余白を残す。
つまりトランプ外交は混乱しているように見えて、実際には「案件ごとにカードを分けて使い分ける」戦術的合理性を持っています。
インドの選択肢:チャーバハールかIMECか
2023年G20で発表されたインド–中東–欧州経済回廊(IMEC)は、インドからUAE・サウジ・イスラエルを経由して欧州に至る新ルート。
海運・鉄道に加え、水素パイプラインや海底ケーブルを備える「貿易+エネルギー+データ」の三位一体回廊です。
一部では「インドはチャーバハールを諦めIMECにシフトするのか」との声もありますが
実際は二者択一ではなく補完関係。
- チャーバハール=中央アジアやアフガンへのバルク・資源輸送
- IMEC=欧州向けの高付加価値・データ・エネルギー回廊
と役割が異なるからです。
サウジ×パキスタン防衛協定と湾岸の再編
さらに9月にはサウジとパキスタンが相互防衛協定を締結。
「どちらかが攻撃されれば両国への攻撃とみなす」という内容で、湾岸と南アジアの安全保障地図が大きく動きました。
背後に米国の黙認があるのは確実で、イラン牽制と湾岸安定化の文脈に位置づけられます。
インドとしてはサウジ・UAEとの戦略的関係を一層深め、エネルギーと物流の軸を強化する必要があります。
投資・経済への影響
短期的には
- 保険料・輸送コストの上昇
- 港湾投資の停滞
- 制裁リスクによる金融機関の回避姿勢強化
が避けられません。
中期的には
- チャーバハール=地域安定・資源輸送の命綱
- IMEC=データ・水素・高付加価値物流の本命
という“二層構造”が形を取り、インド西海岸の港湾・鉄道・保税物流施設には投資機会も拡大します。
筆者の視点:境界線は自分で引く
トランプ外交は恋愛のミックスサインのように振り回します。
しかし最も重要なのは「境界線を自分で引く」こと。
インドはチャーバハールを低露出で維持しつつ、IMECを前倒しで可視化し、湾岸諸国と共通規格を築くべきです。
最終的に勝つのはモノだけでなく、データとエネルギーを流せる回廊です。
AI・半導体・水素の時代において、IMECが持つ「通信+水素+貿易」の複合機能は、長期的に圧倒的な価値を生みます。
まとめ
- 免除撤回
インドに痛手、米国はイラン抑止を最優先。 - BLA指定阻止
対中パ関係のカードを温存。 - インドの対応
チャーバハールを細く長く、IMECを前倒し。 - 戦略原則
チャネル多重化と制裁耐性設計。
恋愛にたとえれば、既読スルーに一喜一憂せず自分の予定帳を充実させること。
国際政治でも同じです。
ミックスシグナルに翻弄されるのではなく、複数の回廊を同時並行で走らせることこそ、インドの生存戦略となります。